SNSでも発信中!

BLOG 事務所ブログ

山下清展 県立近代美術館にて

 休日、長岡にある県立近代美術館で開催されている「誕生100年 山下清展 100年目の大回想」に行きました。私は山下清の両親が新潟県出身であることを初めて知りました。今回は両親の故郷へお帰り展ともいえますね。

 県民なら一度は見たことがある「長岡の花火」の原画を初めて間近で見ることができました。こよりを重ねて貼ることで花火を描き、河原に集まった人々の一人一人の後ろ姿だけでなく、川面に移る花火までもが貼り絵で絵が画れていました。その貼り絵から花火のドーンという音と歓声が聞こえてくるようでした。ピアノやバイオリンで超絶技法なんて言いますが、この絵もまさに貼り絵の超絶技法といえるものでした。私は何度も目を凝らして(メガネを外して)絵に近づき見入ったか・・・。貼り絵だけでなくペン(よくあるマジックペン)の点で描かれた絵も細かいところまで表現されていて、油絵も色彩が豊かでどれも目を引くものばかりでした。8月18日まで開催しているそうです。ぜひ足を運んでいただけたらと思います。

 展示の中に山下清が施設(千葉県市原市 八幡学園)の園長先生に充てた手紙が展示されていました。その内容から手紙を受け取る側の園長先生の寛容な人柄が伺えるような気がしました。調べたところ創設者の久保寺保久氏は自宅を開放して開園し、『踏むな、育てよ、水そそげ』を目標に障害者と向き合い、愛情をもってその自発的な成長を促すという方針をとり、自由な生活と学びの場を提供してこられたそうです。今の障害者施設の先駆的存在だったのではないでしょうか。時代背景を考えると当時は障害者に対して厳しい差別があったことが想像できます。その中で自身の教育方針を貫くには相当の覚悟と苦労があったはずです。山下清はこの施設に入所してかで貼り絵に興味を覚え、閉ざした心を少しづつ解いていったようです。それがこの素晴らしい絵を制作する人生に繋がっていったのです。

 山下清は脳溢血で49歳でこの世を去りました。もし今まだご健在で100歳を迎えていたら…。この世のどんな世界を描いたでしょうか。彼には今の世の中がどんなふうに写って見えるのでしょうか。そんなことを考えながら会場を後にしました。                  🍙いばらき

ブログ一覧