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凡そはかなきものは

 「成年後見制度」に基づいて、認知症や障害などまざまな理由で判断能力が低下し、一人で法律行為を行うことができない、もしくは困難になってしまった人に代わって法律行為を行う人を成年後見人といいます。期間は基本ご本人が死亡するまで務めます(例外はあります)。

 先週、約8年間馬場県議(弁護士)が成年後見人を務め、私がサポートしていたTさんが亡くなりました。享年90歳。お会いしたころは、認知症は発症されていましたが楽しそうに子供の頃の話してくださいました。共通の知人もいたりしていつも話は尽きず私もTさんとの面会が楽しみでした。

 後見人の任期は死亡時までですが、事情がありご家族が火葬手続きができない場合があります。その時は裁判所に火葬埋葬許可の手続きを取り火葬を行います。私も数回被後見人の火葬に立ち会いました。家族ではないけれど、数年間でも直接会い言葉を交わした方とのお別れは寂しいものです。数年前、ある葬儀社の方と雑談をしていた時「身寄りのいない方が亡くなって、電話で「あとはよろしくお願いします」と言ってご遺体にも会わず火葬にも立ち会わない後見人がいる。すごく寂しい話だよね」と言われたことがあります。馬場弁護士(県議)は『被後見人に身寄りがいない場合、又はいても遠方に住んでいる場合は、家族同様に手続きを行い、弁護士または職員が火葬まで寄り添い、最後まで見送る』という主義でいましたので、そんな後見人がいるのだとその葬儀屋さんの言葉に驚いたものです。

 今回亡くなられた方も、馬場が火葬手続きを行いました。馬場は仕事のため途中で退席しましたが、最後は私が見送りました。Tさんのお骨を安置していただくお寺で「それ人間の浮上なる相をつらつらと観ずるに、凡そはかなきものは〜」と始まる『白骨の章』という浄土真宗の葬儀で読まれるお経(手紙?)を初めて聞きました。内容は「人間の一生は水辺に浮かぶ草のように漂っていて、儚いものである。人は必ず死んでいく。そして火葬されれば一つの煙となり、ただ白骨だけが残される。いったい何のための人生だったのか。それを知って生きなければならない」といような意味だそうです。その内容を聞いて、私自身、身内だけでなく被後見人の遺骨を前にしたとき、「寂しさ」とは異なる何とも言えない「儚さ」を感じることが腑に落ちた気がしました。     🍙いばらき 

 

 

息を引き取られる2日前。力強く手を握り返してくれたTさん。約8年間ありがとうございました。安らかにお眠りください。

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