先週、袴田巌さんに無罪を言い渡した判決について、検事総長は控訴しないことを明らかにしました。これにより一度、死刑が確定した袴田さんの無罪が確定することになりました。今日、馬場県議の支援者の方と袴田さんの話題になったときに「袴田さんを支えた方々の長年の支援とこの結果を見て「続ける」ってあらためて大切なことだってわかったね」と話されました。確かにそうだなと思います。
事件発生から58年。無罪となったことは本当によかったけれど、この死の恐怖と向き合った58年はあまりにも長く、袴田さん個人の貴重な人生の時間は戻ってきません。どうか袴田さんとご家族にはこれからの残された人生を穏やかに過ごしていただきたいと願わずにはいれらません。
このニュースを見て、はたと思ったことがあります。被害者の立場になれば、今回の無罪をどう捉えるでしょう。本当の犯人は誰なのか。今度は被害者の家族が釈然としない日々が始まりまるのではないでしょうか。事件の捜査時にしっかりと真摯に袴田さんの声に耳を傾け、それを基に捜査していれば、本当の加害者が発見されていたかもしれません。検察の利権を優先し人権を無視した対応が、結果誰も救われない結果を作ってしまったような気がして当事者でもない私も怒りを覚えます。
「冤罪」といえば刑事事件の特別な言葉であるけれど、私も過去にこちらの言い分を聞かれることもなく、加害者側になっていると一方的に判断され、数年間とても理不尽な対応をされたことがあります。その後、その対応した人からは謝罪を受けました。しかし当事者すべてにきちんと説明して誤解を解いてはもらったわけではありません。誤解を解かれない限りこの件についてはこれからも私の心が晴れることはありません。このような誤解は、きちんと双方の言い分にフェアに耳を傾けないことが原因かと思います。「ああ、こうやって冤罪って生まれるんだなあ」と感じた出来事であり、いまでも私の心の奥に引っかかっていることです。
学校の教育の中で教師がきちんと生徒の動きや生徒の話を見て聞いていますか。職場の中で上司や経営者はきちんと部下の様子を見て、訴えに真摯に耳を傾けていますか。そしてフェアなジャッジと対応をしていますか。袴田巌さんの58年間という時間をしっかり受け止め、将来繰り返さないためには教育や職場など私たちの日常からも冤罪を生まない環境を作っていくことが必要なのではないでしょうか。 🍙いばらき