
数日前の午前中、お寺を継いだ高校の同級生のお父様が急逝されため弔問に行ってきました。僧侶という立場もあるかと思いますが、「死」というものに対して達観しているのでしょうか、あまりにも突然の別れだったにもかかわらず、とても穏やかに落ち着いてそれを受け止めているように見受けました。長い歴史を持つ由緒あるお寺でもあり、これから担う重責と心労は相当なものかと思います。2人のしっかりとした二人の息子さんと共に歴史をつないでいってほしいと思いました。
弔問を終えて、惣門をくぐり帰ろうとしたとき、杉の木から湯気があがっているのを見つけ、足を止めました。杉が呼吸をしているのがわかります。まさに「生きている」証です。
大学3年生の時に友人らと一緒に共通の知人が修行している永平寺を訪れたことがあります。その日はなんとご高齢の貫首が亡くなった日と重なってしまいました。永平寺は勿論ですが、門前全体が喪中の雰囲気が漂っていて若い私たちには勝手がわからず居心地の悪い状況でした。そんな私たちに同じ宿に宿泊していた30代くらいの僧侶から「この木々は何百年も生きていて、もう何人もの貫首を見送っている。自然と違い人の世は短い。『人生露のごとし』。一時一時を大事に生きなきゃいけないよ」と声をかけられ、合掌の仕方を教えていただいたのを思い出しました。
そして今回の弔問で「人の死と自然の生」をあらためて考えた日でもありました。 🍙いばらき