バタバタのゴールデンウィークが終わり、18日の県政報告会の準備、活動日誌62号の作成、政務活動費収支報告書の作成、活動報告夏号の打合せと作成…とすべて締め切りがある仕事に追われブログを書くことをすっかり忘れてしまいました。そんなバタバタの中、私はまた1つ歳をとりました(笑)
さて突然ですが、私は「信用」と「信頼」とは違うものだと思っているのですが皆さんはどうですか?何が違うと思うのか尋ねれると明確に応えられないので、私の考える例を話します。
何度も窃盗を繰り返し懲役刑を受け出所したばかり人(Aとしましょう)が人手不足で困っていた小さな工場を営むあなたの会社に面接に来たとします。素性を承知でAを雇い入れたところ、Aには職人としての腕があることがわかりました。Aは再犯することなく現在に至っています。そして年が経つごとに他の従業員からも一目置かれ、社長のあなたにとっても頼れる存在になったとします。そんな中、取引先から新しい注文が入りました。その注文に応えるには新たな機械が必要です。設備投資をするからには満足してもらう製品を作らなければならない、技術的に大丈夫なのかと悩んだ時に、社長であるあなたは職人として頼りにしているAに相談するのではないでしょうか。それがAに対する「信頼」だと思うのです。しかしどんなに仕事でAを信頼していても、あなたはAに会社の生命線である通帳と印鑑を預ける勇気がありますか?私にはその勇気はありません。それはAの窃盗という犯罪歴が躊躇させるからです。私はそれが「信用」だと思っています。
「信頼」は現状を見て未来の行動を期待することで「信用」は過去の実績や行動などから信用するに値するかどうか判断することともいえるかもしれません。前者は主観的な視点から判断し、後者は客観的な視点からの判断という感じもします。だから上記の例のように「信頼はしているけれど信用はしていない」ということもあり得ると思うのです。
それを柏崎・刈羽原発に対する東京電力の対応に当てはめると、過去の行動・実績からの「信用」があるといえるのでしょうか。そして現在・将来に期待できるだけの「信頼」はどうなのでしょうか…。
そんな質問があったら厳しいかもしれないけれど『どちらも「ない」』と私は答えます。
🍙いばらき